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草加せんべいの歴史について|調味料(塩・味噌・醤油)との関係|History of Soka Senbei

草加せんべいの写真

おせんべいと言えば、食卓やこたつの上にある光景をドラマやアニメなどでもよく目にします。そのためか、なんだかいつも傍にあるような親しみあるお菓子です。

「パリパリ」か「バリバリ」か表現に迷うことろですが、日本人のおやつの定番と言っていいのかもしれません。

今回は、おせんべいの歴史と魅力について私なりに少しアレンジをほどこしながら調味料の話を含めて簡単にまとめてみました。

草加せんべいの歴史について

草加せんべいの写真

今から数百年前の江戸時代、場所は現在の埼玉県草加市。

当時の江戸日本橋から日光坊中(日光東照宮)までの日光街道にあった宿場町『草加』には、たくさんの人が行き交い、旅籠屋(宿屋)や茶店などが賑わいを見せていたようです。

草加周辺の地域は幾つもの川に挟まれ、氾濫で繰り返し堆積した地層が稲作に適していたため米の一大産地でした。

当時の人々は、余ったお米を団子状などにしたものを乾燥させて保存食として有効利用をしていました。

その保存食が食文化と時代の変遷とともに姿・形・味が確立され草加を代表する銘菓となります。

おせんべいの名の由来(逸話)

ひとつの茶店で、おばあさんが団子を売っていましたが、売れ残ってしまった団子を近くの川に捨てている様子をみた旅人に「その団子を押しつぶして平らにして天日で乾かしたものを焼いて売ってみたらどうか」と言われました。

そこで試しに作って売ってみたら人気を博した。おせんという名のお婆さんが売っていたせんべいということで、「おせんのせんべい」から「おせんべい」とよばれるようになったという話です。

日光街道(にっこう かいどう)は、日本の江戸時代に設けられていた五街道の一つ。 江戸日本橋(武蔵国豊島郡日本橋、現在の東京都中央区日本橋)を起点とし、日光坊中(下野国都賀郡日光東照宮、現在の栃木県日光市山内)に至る街道。

引用元:ウキペディア(日光街道)

日光街道 草加

草加せんべいの美味しさの秘密とは?

草加せんべいの魅力は何と言っても、歯ごたえの良い食感とお米本来の甘み、そして香ばしい醤油があげられます。

醤油の起源は、諸説があり定かではないのですが、東南アジアか中国から仏教の伝来とともに日本に伝わったとも言われています。

肉や魚、穀類などに塩を混ぜて保存していたものを『(ひしお)』と言いました。穀類の醤からしみ出た液体が醤油の原型であり、時代とともに素材の配合や製法などが確立されて現代の醤油に至りました。

日本農林規格(JAS)では5種類に分類されています。こいくち醤油、うすくち醤油、たまり醤油、さいしこみ醤油、しろ醤油です。

米菓に使用される醤油は主にたまり醤油。原料は大豆が大半を占めるということもあって、独特のコクと香りがあり濃厚な味わいが特徴です。

しょうゆせんべいのイメージ画像

醤油はなんといっても風味の決め手となる重要な調味料で、それぞれのお店が独自の調合やアレンジを施して秘伝の味に仕上げています。

「どうして醤油味が主流となったのか?」という疑問が湧きます。

不思議な力というべきうま味調理効果があって、素材の美味しさを引き立てたり、風味を守ったりしてくれる理由が主なようです。

「お米と醤油の相乗効果が美味しさを高めてくれている。」と言った表現の方がわかりやすいかもしれません。

塩との関係について

塩のイメージ画像

お米から保存食を作る際には、腐敗などを防ぐため塩を加えていました。これは、塩の持つ殺菌作用や防腐作用を利用していたと考えられます。

塩の起源は古く、縄文時代の遺跡で見つかった土器からすでに製塩されていたことがわかっています。天然の防腐剤とも言われる塩が、おせんべいの原型であるものに利用されていたということになります。

塩を混ぜた団子を薄く延ばして平らにして焼いたものが、せんべいの起源である『塩せんべい』です。

現在は、醤油味のせんべいが主流ですが、当時はまだ醤油はそれほど普及しておらず、調味料としては味噌の方が身近であったため、味付けとしては味噌の方が先であったと推測しています。

味噌との関係について

味噌のイメージ画像

味噌は、鎌倉時代時代には味噌汁としても食べられていたと言われています。また、戦国時代には糒(ほしい)とともに城の中に味噌樽(みそだる)が備蓄されていました。

徳川幕府が開いた江戸時代の頃には、全国各地から味噌が集められ庶民の食生活にも大きな影響を与えました。そういった背景から、せんべいと味噌のつながりも深かったと考えられます。

一汁一菜(いちじゅういっさい)が、庶民の食生活だった江戸時代において味噌は貴重でした。米の栄養素として弱い部分を、味噌の栄養素が補うという大切な役割を果たしていました。

醤油との関係について

たまり醤油のイメージ画像

江戸時代の末期には、千葉県の銚子や野田で造られた醤油(関東醤油)が人気を博し、下り醤油(関西などから入る醤油)に変わって庶民の食生活に広がっていきました。

当時の江戸には100万人とも言われる人が住んでいたため、醤油の生産量と消費量も非常に多かったと言われています。料理だけでなくおせんべいなどのお菓子にも広く使われるようになりました。

醤油味のおせんべいは、明治、大正へと時代が移り変わるなかでもどんどんと増えていきました。昭和の最盛期には、草加だけでも100軒を超えるおせんべい屋さんがあったといいます。

さいごに

仕事で、埼玉県の草加市には何度も足を運びました。都市の近代化が進み、当時のおもかげを感じ取れるところは限られていますが、町を歩けば何軒かの煎餅屋さんに出会います。

一軒一軒、こだわりが違います。比べると大きさや厚み、味付けなどが違うのです。

草加せんべいの原型は、江戸時代に誕生し、日本各地へと広がりをみせ、それぞれの地域で美味しいおせんべいが生まれました。

歴史あるおせんべいの奥ゆかしい味わいを、ひと噛みひと噛みじっくりと味わっていただければ嬉しい限りです。

最後までご覧いただきありがとうございました。当記事が何かの参考になれば幸いです。

※歴史や起源・由来には諸説があります。
※写真やイラストはイメージです。