おかき・あられ・せんべいの専門家監修

砂糖の歴史と起源|世界から日本への伝来と伝播について|History of Sugar

砂糖とサトウキビのイメージ画像

おかき・あられ・せんべいに使用する甘味料として砂糖はなくてはならない素材です。ザラメをたっぷりとまぶしたものは特に人気です。

料理にもお菓子にも欠かすことのできない砂糖の原料がサトウキビサトウダイコンです。

世界における砂糖の歴史や日本への伝来と伝播などを交えて、ざらめを使ったおかき・あられ・せんべいの誕生までについてまとめてみました。

ざらめせんべいは、砂糖作りの近代化がもたらした新しい商品だったのかもしれません。

世界における砂糖の起源について

砂糖の歴史における起源はインドと言われています。これは、砂糖に関する記述が紀元前5世紀頃のインドの仏典にみられることが根拠となっています。

「SUGAR(シュガー)」の語源は、サトウキビを意味する古代インドのサンスクリット語「SARKARA(サルカラ)」に由来します。

但し、砂糖の原料である『サトウキビ甘蔗)』の起源となるとおよそ紀元前8000年まで遡ります。場所は、南太平洋にある現在のニューギニア島辺りです。

サトウキビが、フィリピン諸島やインドネシア諸島を経てインドに伝わり、製糖技術が生まれて砂糖が作られるようになったと考えられています。

その後、砂糖はインドから中東アジア、東アジア、ヨーロッパなどへと広がっていきました。

当時、ヨーロッパでは甘味料としてではなく薬として扱われており、フランスでは砂糖を販売する権利は薬屋が独占していました。

食文化の変遷のなか、砂糖の需要が一段と高まったこともあって、温暖な気候の国々でサトウキビの栽培と砂糖作りが盛んに行われます。

世界各地へ砂糖が伝播するなか、日本でも菓子文化に大きな影響を与えることになります。

日本への砂糖の伝来について

日本では奈良時代(754)に唐(中国)の僧である『鑑真(がんじん)』が、当時の砂糖を持って来日した記録があります。

正倉院所蔵の『種々薬帖(しゅじゅやくちょう』という資料に蔗糖(しょとう)という砂糖を意味する記述があり、日本でも当時は薬として扱われていたことがわかっています。

平安時代から鎌倉時代、室町時代にかけては、薬だけでなく甘味料としても使われるようになっていきましたが、まだまだ希少価値が高く贅沢な嗜好品のようでした。

安土桃山時代と南蛮菓子

カステラのイメージ画像

天文12年(1543)に、ポルトガル船が種子島に漂着してから、ヨーロッパ諸国からの南蛮文化とともに砂糖菓子や鉄砲が伝わります。

安土桃山時代に伝わったとされるカステラ、ボーロ、コンペイトウなどの南蛮菓子の美味しさに当時の人々は魅了されたといいます。

その後、砂糖菓子は茶の湯の文化の影響もあって、日本独自の菓子文化として花開くことになります。

それまでの日本における甘味料と言えば、植物の樹液でつくる甘葛(あまづら)* や果実はちみつなどが一般的でした。

シュガーロードによる伝播と菓子文化

砂糖掛けの煎餅

江戸時代には、ヨーロッパ諸国の動きに危機を感じた幕府によって鎖国が行われましたが、砂糖は引き続き長崎の出島から日本国内に入ってくることになります。

砂糖は、長崎の出島を起点とした「シュガーロード」と呼ばれる長崎街道(長崎~佐賀~小倉)を通り、山陽道、東海道を通って大阪・京都・江戸に砂糖が運ばれていきました。

現在も長崎街道沿いにあった町々では、当時の砂糖の歴史を偲ばせる様々なお菓子が販売されています。

参考 長崎街道「シュガーロード」シュガーロード連絡協議会

江戸幕府による砂糖の貿易統制

江戸幕府は砂糖の輸入と引き換えに外国に財が流れ出ることを食い止めようと砂糖の輸入に関する統制を行います。そして、さらには国内での砂糖の生産も試みるようになりました。

砂糖作りを本格的に奨励したのが、第8代将軍の徳川吉宗と言われています。徳川吉宗と言えば江戸の三大改革のひとつである『享保の改革』を行ったことでも有名です。

日本の各地で砂糖作りが盛んに行われ、やがて輸入される砂糖の量を上回ることになります。そのおかげもあって、砂糖を使った料理やお菓子が日常的なものへと少しずつ浸透していきました。

各地では、甘味料として砂糖を使ったさまざな和菓子や駄菓子が作られるようになり、地域の特色を活かした新しい名物が続々と誕生します。

明治時代に入ると砂糖の輸入規制が取り払われ、国外から安価な砂糖が大量に入ってくるようになったため、国内の製糖所はほとんど消滅してしまうという結果に。

今の鹿児島県の奄美大島や沖縄県でサトウキビから作る黒糖(こくとう)と四国の徳島県・香川県の和三盆(わさんぼん)だけは残り続け今日に至ります。

明治時代からサトウダイコンの栽培と砂糖づくりが始まる

収穫したサトウダイコン

明治の中期から後期には、北海道で「甜菜(てんさい)」と呼ばれるサトウダイコンから砂糖を作る試みも行われ、国内での生産量が再び増えていきます。

その後、サトウダイコン(甜菜)を原料とする砂糖が、国内生産量の約割 * を占めるまでになりました。

なお、農林水産省の『砂糖の用途別消費動向(2017)』によると、砂糖全体の約4分の1菓子類に使用されていることが見て取れます。

そのなかには、ザラメをまぶしたざらめせんべいや砂糖の衣掛けせんべいなども含まれています。

*参考資料:農林水産省 国内産糖の生産動向(2018)

参考 砂糖及び異性化糖の需給見通し農林水産省

ざらめを使ったおかき・あられ・せんべいの誕生は?

ざらめせんべいの写真

当時の江戸の人口は100万人とも言われ、すべての人の消費を賄うために京都や大阪をはじめ全国各地から物資が集まっていました。

砂糖が一般的に使われるようになったのが江戸時代の後期。当時は、醤油(しょうゆ)も千葉県の銚子や野田周辺で本格的な生産が行われていました。

おかき・あられ・せんべいに醤油をつけて、砂糖をまぶしていたかは資料がないため不明ですが、醤油と砂糖をまぜて甘辛醤油として味付けをしていた可能性は十分に考えられます。

寿司や納豆などの食品をはじめ、羊羹や団子などのお菓子も売られていたため、砂糖と醤油もせんべいを扱う茶店で利用されていたと考えても不思議ではありません。

現在のような姿の『ざらめおかき』や『ざらめせんべい』になったのは比較的最近のことです。

ザラメ(双目)は、グラニュー糖の一種です。そういった理由から、グラニュー糖を製造できる技術や近代設備が整った明治中期から大正頃にかけてが誕生時期だと推測できます。

ざらめせんべいのアイキャッチ画像ざらめ糖のおかき・あられ・せんべいはカロリーと糖質は高いの?|Granulated rice cracker

さいごに

砂糖の歴史を紐解くと、世界の菓子文化や時代の影響を大きく受けていることがわかります。

ヨーロッパで紅茶や珈琲が広がると砂糖の需要も大幅に増えることになりました。

砂糖の効能や効果を知ると、いかに健康維持や運動のために必要なエネルギー源であるかがわかります。

空腹を満たしたり、気分転換になったり、疲れを癒したりと多様な役割を持つ砂糖は、生命活動になくてはならない植物由来の食品です。

ぜひ、お気に入りの砂糖菓子で楽しく美味しい時間を過ごしていただければと思います。

最後までご覧いただきありがとうございました。当記事が何かの参考になれば幸いです。

*甘葛(あまづら):つる草などから採取した液を煮つめて作った甘味料。Weblio古語辞典より

参考 特集1 砂糖(1)農林水産省

●参考文献
・砂糖の世界史 岩波ジュニア新書

・食卓の文化誌 岩波書店
・改訂版 砂糖入門 日本食糧新聞社
・塩と砂糖と食品保存の科学 日刊工業新聞社

※歴史や起源・由来には諸説があります。
※写真やイラストはイメージです。